寄り道

人生に奥行きをもたせる悪あがき

授業なんて聞こえなかった featuring ゆうた

匿名SNSというのを入れてみたんですよ、寂しい期間が続いたものですから。


Gravityというアプリでして、広告でいまめっちゃ流れてくるんです。
ざっくりとした機能説明としてはXにLINEがくっついたみたいね感じですね(UX)
これに16型の性格診断を取り入れてマッチングもできちゃう~みたいなオプション付き。


匿名のSNSは初めて触りましたが、人と接するというところのハードルがかなり低く設定されていることから、わりと幅広い年齢層・ターゲットにウケているようですね。


これまで接点のなかった方々と交流を図ることができ、非常に楽しむことができました。SNSの本来的な使い方が苦手なものですから、ただ一方的に発信または受容することばかりが目立ってきた私の私生活。これにおいて、こういった双方向的な交流というのはとても新鮮に感じました。
とくにグループ通話の機能が気に入りました。私には存在しなかったさまざまな形での青春を追体験できたのはなかなか悪くなかったです。


このSNSアプリを通じて仲良くなりたいと思った人もちらほら現れたわけではありますが、一方でその逆もあったわけです。思想の違いとかそういったベクトルにない関わりたくない人というのも一定数いらっしゃいました。
それはおのずと相手方もそう思っていることなのでしょう。人を嫌いになるときに自分の世間体にも綻びがあることをカウンターで気付かされます。


八方にいい顔をしていた私としては、こういった不慣れな盤面に陥った時にもどうにか体裁を整えて仲良しの儀式を執り行うことに固執していました。
しかしながら最近になって、得手不得手や強/弱点というところが露わになることではじめて私が成熟してきているという実感を抱くようになりました。
つまりは、洗練されているからこそ脆さがより際立つという原理です。


学生時代にレポートで、「人に好かれやすい生き方」というテーマのものを書いたことがあります。その当時は、「接触する試行回数を稼ぐためのコミュニティ生存戦略」と大々的に銘打った方法を提案してみました。心理学に基づいて、単純接触効果を誘発するための妥協策として「嫌われないポジション」を築き上げるというものです。


だいたいは(人の)嫌われる行動というものは一致しているでしょう?
虫や汚いものに対して多少の誤差こそあれどもほとんどの人が嫌悪感を示すというのは共通認識であるはずです。好きの多様さに引き換えて嫌いはどれも似たりよったりのシチュエーションだと思うのです。だからこそ、嫌われないというのはそれ自体が価値であり、連続ログインボーナスでちまちま好感度を上げていくのが堅実な好かれ方なのだという主張です。


ただし、人間関係というともしかするとそんな単純な好き/嫌いでは整理できないものなのかもしれません。


好き嫌いポイントがあると仮定してみましょう。(トータル好感度=好きPー嫌いP)


A   好きP +5          嫌いP 0   トータル好感度+5
B   好きP +500      嫌いP 500  トータル好感度 0


この2つをまずは恋愛に当てはめて考えてみましょう。
Aのほうがトータルの好感度が高いですが、プレイヤーはAよりもより多くの関心をBに向けていることは明白です。
こういった場合現実では、結局プレイヤーはBを選ぶというBエンドをすることが多いです。真剣にこれがなぜなのかわからなかったのが学生時代の私です。いまも言語化しろと云われると上手に説明できませんが、恋愛がロジックではなく生ものと認められているのはこういったことなのでしょうね。


人間関係もやはりこれと同様なんですね。
嫌われないという保守的な立ち回りはもちろん大切なことではありますが、良好な関係性は八方美人を貫くことだけでつくれるほど甘くはないようです。
何ももちえない無役のキャラはいてもいなくてもいいのです。大富豪でいうところの6みたいなやつはいつぞんざいな扱いをしてしまってもいいと下にみられます。
ときには対立も厭わない確固たる自我が大きな求心力を生み出していくのでしょう。


Gravityを通して、人との接し方やこれからの自分に求めていくものを学べたと総括します。
傾聴の姿勢やユーモアのセンスといった多少のトークスキルはこれからも磨いていかねばなりませんが、コミュニケーションにおける趣というのは他者を介して自分をさらにアップデートしていくことなのだと私は感じました。
あるいは独善的だと非難されるやもしれませんが、単なる共感や同調で上辺をなぞるだけの営みよりも深く自分と向き合うことができます。自分を理解するほどに相手に対してもより多くの接点を持ちうることにつながると私は思うのです。


また落ち着いたときにいろいろと集まって話に華を咲かせたいところですね。





今回のブログ、個人的にはすごく気に入っています。
締りは少し悪いですが、不器用ながらにもこの10日間で私が感じたこと・気づいたことを表現できたのではなかなと思います。
JTさんにこのブログを基にしたCMつくってほしいななんて思いました。
ちなみに今回のタイトルは一番印象に残ったルームの話から抜粋いたしました。
それではまた!

22フリージア目

バイトをやめた日に全体LINEで説教かましたとーしろです
いわなくてもええやんってことばっかり書きのこしてしまったなあ・・・


説教おじさんになってでも伝えたかったことといえば、「落ち着いて丁寧にやっていこう」という実にシンプルなものでした。


ブロガーともなればこれにあれこれ衣をつけてどうにか頑張って書きました感を演出してしまうのです。気づけばタイピングに30分もかかってしまうという笑えないオチ


やめるときの挨拶なんてまさに顕著な例ですが、文章で伝えるという場面になるときには改めて意識しないといけませんね、受け手がどう感じるかについて。


一貫性を持たせた文章構成が大切だなんて言われますが、受け手が存在するのであれば一番に優先するべきは受け手への気遣いであるべきなのでしょう。


今回やってもうたなと悔恨していることはこの気遣いが足りていなかったところです。


伝えたいこと、伝えるべきことが両者混同してしまいたらたら長文ぶっぱしてしまったという顛末でございます。


このブログ読んでくれている方の90%くらいはおそらく知人ですが、節操のない文章だななんて見限られないように先の反省を活かした文章づくりというのはこれからも意識して変えていこうと思います。





幸せの象徴として四葉のクローバーが連想されることが多い。
何気なく足元に目を見やったけど簡単にはみつからない。
これまで幾度となく見過ごしてきたのだろうそれをいざ探してみるとなかなかどこにあるかわからないのだから不思議
でも知っている、四葉は群生するってこと。
だから、見つけたら今度こそ大事にしていこうと思う。


#二乃推し

いつかじゃないらしい

兄が結婚するらしいというはなしを父伝いできいた。直接おめでとうがいえなくて父伝いで兄に祝辞を送った。直近の後悔といえばそんなところ。


実家に戻ることに少しだけ後ろめたさを感じているのが最近の悩みどころ。


ぼやぼやしていたやりたいことが徐々に形作られて、少しずつ未来に期待を持ち始めてる今日この頃。


そろそろ23歳。日本を発つまでにあれこれ清算して、両手ふって外を歩きたい。そんな年頃。

弊ブログ、文章長くなりがちな件について

要約してズバッとまとめることはできますよ、そりゃ。

そうやって決めた題材のためだけに筆はしらせるのも悪くはない。


ただなぁ、感情がそうさせてくれねぇ。

淡々としたモノローグを読んでもらうコンテンツに昇華させるのが感情だと思うんでね、やっぱりこれからも変わらずダラダラと書き続けていくのがやりやすいです。


とはいえ最近短歌に興味もってね。

というのももともと広告とかキャッチコピーみたいな限られたコマでインパクトを与えるっていうのはすっごく興味があったんだけれども、短歌もそれと似てるよなって感じてきまして。


三十一文字で情景を浮かべたり、音のかさなりを楽しんだり、後味を残して受けて(っていうのかな?)の想像力を掻き立てたり…。

限られたスペースからこんなに幅広い楽しみ方が凝縮されてるなんて美しいよなぁって思います。


なのでね、たまには読み手のみなさんにも取っ付きやすくてあれこれと考えるテーマになりうるような記事も執筆できるようになったらなと思います。


近況報告?でした。

ガチでただの日記

大学ちゃんと卒業した。

知らないことがたくさん増えた。

無知だったんだなぁと実感したことが1番の収穫だったのかもしれない。

これね、メタ認知っていうやつらしい。

馴染みがあるやつだと、「無知の知」ていうやつな。


なんで難しい説明使っちゃうかな哲学者って。

これはできる、これはできないっていう簡単な○×を脳内で演算処理するための基本ステータス:知力っていうことや、だからメタ認知能力は大切なんだよってさ。


義務教育はこれをもっと高めるような教育方針をとれよっておもうね。